神戸バプテスト教会 神戸市中央区 北野坂の異人館通りにあるキリスト教会です

バプテストとは

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 バプテスト教会の「バプテスト」について説明いたしましょう。

1.バプテスト教会の特徴

バプテスト派の特徴(これは他のプロテスタント教派とも重なるところもあります)は次のようなものです。

  1. 聖書の重視
    聖霊の働きによる自由な聖書の読み方を重んじます。
  2. 信仰者のバプテスマ
    自覚的に信じることを告白した者にバプテスマを行います。
    バプテスマの形としては原則「浸礼」(全身を水につける)を重視します。
    浸礼は「水に死に、キリストと共に新たに甦らされる象徴」だからです。
  3. 万人祭司
    教会を構成するメンバーの中に、身分的な上下関係はもちません。
    牧師も信徒も神の前に平等の立場であり、信徒は牧師に職分を委託します。
  4. 民主的教会運営
    牧師と信徒の信仰による民主的教会運営により、総会の意思で教会の歩みを決定します。
  5. 各個教会主義
    個人の信仰が他者によって侵されないように、各個教会は自主独立であり、支配従属の関係を持ちません。
  6. 政教分離原則の主張
    政治(国)と宗教(教会)の混同(癒着)は、人権の抑圧の歴史の証しです。バプテスト教会は、政教分離を主張します。しかしそれは政治への無関心を意味しません。教会は国家を監視し、権力が人権を無視し弱者を軽んじないように声を上げる働きを担っています。国家は神の前に無力であり、人間の思想、良心、内心、信仰の自由に介入することは許されないからです。
    (参考文献:日本バプテスト連盟発行「教会員手帳」より)

2.バプテスト教会の誕生

 バプテスト教会が誕生したのは17世紀のイングランドでした。ヨーロッパでの「宗教改革」の少し後のお話しになります。
 イングランドは、ヘンリー8世の離婚問題をきっかけとしてローマ・カトリック教会から脱する際、政教一致のイングランド国教会(英国国教会)が新たに誕生しました。イングランドに生まれた人は信仰をもつ前に幼児洗礼(新生児洗礼)が授けられ国教会員になりました。司祭は国の公務員であり、教会の礼拝も国の定めた方法や順序で行われることが義務付けられました。信仰は自覚的な自由なものではなく、制度的なものになっていたのです。
 そのような国による信仰の強制に対してプロテスト(対抗:プロテスタントの原意)した人々がピュリタン(清教徒)です。ピュリタンには、内部から国教会を改革するグループと、外に離れて改革するグループがあり、後者を「分離派」と呼びます。
 バプテストは、この分離派の運動の中から、特に「信仰は本人が自覚的に選び取るものであり、教会は自覚的信仰者の集まりであること。浸礼を尊重すること。国は個人の信仰に口を出す権威がないこと(政教分離の原則)。牧師は各個教会が決断して支えること。礼拝は聖書を中心に各個教会の信仰に合わせて行うこと。牧師は信徒の一人であり、教会は信徒が守ること。」などを主張しました。ところが、それは国家への反逆を意味し、苦難の歴史を歩むことになったのです。
 ちなみに「バプテスト」というのは「あだ名」で、幼児洗礼をすでに受けさせられている者が、自覚的な信仰に基づき、もう一度浸礼(バプテスマ)をしたことから名づけられたものです。

3.アメリカでのバプテスト教会

 その後、イングランドの植民地であったアメリカに、本国からの迫害から逃れ、自由を求める人々が渡っていきました。その中にバプテストの信仰者も加えられていました。ところが、バプテストは、新天地にキリスト教理想国家を作ろうとした熱心な人々によって、またもや迫害されたのです。熱心な信仰は、時として人の信教の自由を脅かし、傷つけてしまう危険性があることを心に留めなければなりません。ようやく1639年、ロジャー・ウイリアムズらによって米国の最初のバプテスト教会が設立されました。ウィリアムズは「神はどのような国家においても宗教が統制され、強制されることを求め給わない」と述べて、「信教の自由」、「宗教と国家の分離」を主張しました。この信仰は「アメリカ合衆国憲法」やその後の国家と宗教の関係について大きな影響を与えています。その後、アメリカでは1730年代に「大覚醒」の時代を迎え、自覚的信仰を主張するバプテストは大きな発展の時期を迎え、米国で一番大きなキリスト教プロテスタントの宗派になりました。
 米国のバプテストの歴史の中には、マーチン・ルーサー・キング牧師や元大統領ジミー・カーターなどがいます。ところが、元来バプテストは政治と決別していましたが、大きな教派となったため、政治的にも力を持っていきました。現在でも特に米国保守として勢力を保ち続けていますが、その自己絶対化をはかる姿は同じバプテストの流れを汲むものとして批判されるべきものです。
 「剣を持つ者は剣によって滅びる」「平和を作り出すものは幸いである」と言ったイエス・キリストの言葉に私たちは耳を傾け、従うべきであると考えます。

4.日本におけるバプテストの歴史(戦前)

 米国南部バプテスト連盟は1889年、マッコーラム夫妻とブランソン夫妻を宣教師として日本に派遣し、横浜に到着しました。両宣教師は初め、神戸(現在の中央区山本通)に住んで日本語を学ぶかたわら宣教の準備を進め、1890年には大阪に移って伝道を開始、翌91年大阪教会を組織しました。しかし、米国北部バプテスト連盟との申し合わせ「神戸以西を南部バプテスト連盟の担当とする」により、九州を拠点とすることになり、92年に小倉に移り、九州各地で教会や教育機関「西南学院」(福岡)、「西南女学院」(小倉)が生まれました。
 その後、日本は「八紘一宇」の名のもとにアジア支配を開始しました。キリスト教会にとっても他人事ではありませんでした。1940年には全国の各キリスト教諸派は国策により「日本基督教団」として統合させられ、抵抗した一部の信者は逮捕・処刑されました。多くの教会はそのような国の動きに抵抗をすることができなかったばかりが、戦争に協力しアジアへの植民地支配に加担しました。私たちバプテスト教会も大きな罪を犯したことを告白せざるを得ません。ですから、今、私たちは国に従うのではなく「キリストを主と告白し、信仰によって生きる」ということの尊さを改めて考えています。

5.戦後のバプテスト教会の歴史

 敗戦と共に、戦時中に統合させられていた教団から離脱し、1947年、福岡に集まった16の教会によって「日本バプテスト連盟」が誕生しました。そして途絶えていた米国南部バプテスト連盟との交流が回復しました。米国からの多くの宣教師や援助によって宣教が進められ、私たち神戸バプテスト教会をはじめとして各地に教会が建てられていきました。「全日本にキリストの光を」が私たちの合言葉となりました。現在、日本バプテスト連盟に加盟している教会は約320あり、北海道から沖縄まで各都道府県にあります。また「日本バプテスト病院」(京都)や「久山療育園」(福岡)、「大牟田恵愛園」(大牟田)もバプテストの協力伝道の働きの中で生まれたものです。
 1970年代に入ると、過去の反省や日本における教会の働きについて真剣な議論がなされ「戦争責任に関する信仰宣言」や「靖国神社に対する日本バプテスト連盟の信仰的立場」などが採択され、日本バプテスト連盟はどのように主イエス・キリストを告白していくかを選びとってきました。
 現在、グローバル化の進む世界で、しかし急激な変化の痛みに耐えかねるように台頭する民族主義(ナショナリズム)が目立ちます。私たちは、今こそバプテストの源泉に立ち返り、国や民族に依存することなく、神の御言葉にこそ立ち、イエス・キリストが言われたような違いを乗り越える対話によって結びあわされる「和解の福音宣教」に仕えて行きたいと願います。

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